先日、フランスの哲学者、ジャック・デリダ氏が亡くなったと報じられていたが、この件に関してアメリカではちょっとした騒動が持ち上がっているらしい。なんでも、ニューヨーク・タイムズ(10月10日付)に載ったデリダ氏の訃報記事が、相当ひどいものだったらしいのだ。
この件は、ぼくが時々拝見させてもらっている「むなぐるま」さんのブログで初めて知ったのだが、むなぐるまさんは「こんな記事がアメリカ最高級の『クオリティ・ペーパー』に載ってしまうなんて、アメリカには知性を尊重する風潮が死に絶えてしまったのかと愕然とした」と嘆かれ、NYTの訃報の一部を原文で引用し、説明されている。
さらに、アメリカの大学教授有志が抗議の手紙をニューヨーク・タイムズに対して投稿し、ウェブサイトでも賛同の署名活動を行っているというのだ。《REMEMBERING Jacques Derrida》と題されたそのページでは、サミュエル・ウェーバー(ノースウエスタン大学)とケネス・リインハード(UCLA)共同書名の「ジョナサン・カンデルによるジャック・デリダの死亡記事は、意味ありげ(mean-spirited)で無内容である」という内容の手紙の他にも、ジュディス・バトラー(フェミニズム)やガヤトリ・スピヴァク(デリダの英訳者)などの手紙も掲載されている。
これは、ぼくが以前書評を書いた『国を愛するということ』(マーサ・C・ヌスバウム他)でも指摘されていたように、アメリカでも90年代半ばころから、多元主義教育への批判が知識人(たとえば、リチャード・ローティ)の口から出てくるなど、ほとんど国粋主義(jingoism)に近い愛国主義(patoriotism)的論調が強まっていることの現われなのかもしれない。訳のわからないものは、封印してしまえってことですね。特に、去年のイラク戦争時には英米と独仏は対立していたしね。
それにしても、立場はどうあれ「そんな考え方もできるのか」と認め合うような知的な空気が失われ、政治的に押さえつけられていくのは、悲しいことだ。それこそテツガクする(自分の頭で考える)ことの意義だと、ぼくは思うのだが...

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