ピンナップ・エイジ/バルガ・ガール 高見壽雄先生のブログRadical Imaginationで、「Pin-Up-Girl.com」が紹介されていました。「...をオープンした」と書かれているから、これは高見先生の経営されるページなのでしょうか? ちょっと可愛いので、買っちゃおうかな?

 それはともかく、「ピンナップ」つながりで、『ピンナップ・エイジ』(伊藤俊治・伴田良輔、リブロポート、1989年)を紹介させていただこうと思ったら、去年10月のエントリー「オランダの『ピンナップ・ガールズ』フィギア」のなかで、『新編ピンナップ・エイジ』(伊藤俊治、ちくま学芸文庫、2000年)の方を、すでに紹介されていたのでした。さすがです!

 さて、ピンナップの歴史については、高見先生が簡潔に要約されているので割愛するとして、この本を読んでいて気になるのは、多数紹介されているピンナップ・ガールたちの笑顔に比べて、伊藤俊治氏の文章のトーンが暗いこと。20世紀は、ピンナップをはじめとして「性的イメージの開放」の時代だったけれど、20世紀後半、それは行き過ぎてしまったようです。
 
「芸術作品の複製技術は、芸術にたいする大衆の関係を変化させる」(ベンヤミン、『複製技術時代の芸術作品』、佐々木基一(解説・編集)、晶文社、1994年、p.34)。ピンナップが芸術だというつもりはないけれど、写真表現が主流になり、とくに1965年『ペントハウス』誌が創刊されて以降、ピンナップは急速に即物的で露骨なポルノと化していきます。そこでは、女性は人格をもつ存在ではなく、男性の視線に差し向けられた欲望の対象として扱われていく。凶悪性犯罪の多発、そしてフェミニズム運動の台頭...。

 ボクが本書のなかで、「ピンナップ・ガール」たちが一番、健全で健康的だったと感じるのは、写真表現に取って代わられる以前の、19世紀後半〜1940年代ごろまでのイラストによる表現。絵やイラストは、写真のようなリアルさはないけれど、かえって純粋なイメージを表現するように思います。
 
 チャールズ・ダナ・ギブソンのギブソン・ガール(1890年代)、ジョージ・ペティのペティ・ガール(1930年代、「エスクワイア」誌など)、アルベルト・バルガスのバルガ・ガール(1940年代、上掲写真、本書p.33より)など...。

 ピンナップの歴史は、技術の進歩が必ずしも好ましい結果をもたらすわけではないことの一例、といえるのかもしれません。


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コメント(4)

トラックバックありがとうございます。
はい、私が友人とやっている会社で輸入販売しており、この「Pin-Up-Girl.com」は私が運営管理しています。

おっしゃるとおり40年代までのイラストレーションの方が、行き着くところまで行って映像に主役を明け渡した写真印刷のすべての歴史を経験してしまった私たちにとって新鮮なイマジネーションを喚起しますね。
フィギアも、照明の具合や見る角度、置く環境によって様々に表情を変え、なかなか飽きませんよ。
ぜひご購入のほどを m(_ _)m

高見先生、コメントありがとうございました。
ボクのエントリーが、先生にとってご迷惑でなければ、幸いです。

ボクは、日本のアニメやマンガ(ロリコンものなど)が欧米で人気なのも、極端にまで走った写真による性表現への反動なのでは...とも考えています。今は、まとまった論考を書く余裕はありませんが、絵と写真のメディア特性の対比は、興味深いテーマです。

フィギアの方は、ぜひひとつ購入させていただきたいと思います。
これからも、よろしくお願いいたします。

>ボクは、日本のアニメやマンガ(ロリコンものなど)が欧米で人気なのも、極端にまで走った写真による性表現への反動なのでは...とも考えています。

ああ、おそらくそうでしょうね。
「20世紀の男」はピンナップで「セックス」の洗礼を受けました。
「21世紀の男」にとってそれにあたるものはなんなんでしょうね。
反面からすると「21世紀の女」にとって、なにが性のイマジネーションの根拠なのでしょうか。
実在の「セックス」との剥離と関係はどうなっているのでしょうか。
けっこう難しい問題ですね。

高見先生、コメントありがとうございます。

確かに、実在とイメージ、それを媒介する言語や絵画などの表現との関係は、プラトンの『クラテュロス』にまで遡り得るほど古くからあり、難しく、奥深い問題ですね。でも、それだけに、それぞれの立場から考えを深めていく、やり甲斐のあるテーマだともいえると思います。ひと頃は、記号論・表象文化論などが流行りましたが...。

「21世紀の性的イメージ」について、ボクが漠然と考えているのは、通俗的ですが、ますます「人工的」なものと「自然的」なものとの亀裂が深まっていくのではないか、ということです。つまり、「セックスレス夫婦」「人工授精」など無性化、ユニセックス化という方向と、「母なる大地」「豊穣なる母性」といった古典的、伝統回帰的な方向性。実在とイメージの乖離は、人間の宿命なのかもしれません。いずれにしても、人々の倫理的意識が深く関わってくる問題ですよね。

ともあれ、ボクにはまだまだ明確な考えなどなく、折に触れ思考錯誤(?)を続けています。
これからも、ヒントやアドバイス、よろしくお願いいたします。

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このページは、Hata3が2005年2月19日 11:52に書いたブログ記事です。

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